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対戦ゲームに向き合った話を聞いてくれリターンズ - 「格ゲーは才能」かもしれないが少なくとも凡人にはなれる

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フランスパンのゲームすき…

 格ゲーができるようになったからちょっと自慢話を聞いてよ。

 前回の記事から1年が経ちました。思ったより反響があり……というか、「格ゲー 才能」でググるとあのページが出てきてしまうらしく。内容としてはただの自分語りだったのですごく恥ずかしくて記事を消そうかと思ったのですが、あれはあれで「励まされた」「自戒になった」という感想もいただけていたようです。
 なので消す代わりに、才能という部分にフォーカスしつつあれからの1年……というよりはここ2ヶ月くらいの話をしてもう少し掘り下げた自分語りをします。
 上手く言語化ができませんので本当に支離滅裂な話になりますが、どれだけ努力を重ねても対戦ゲームだけが上手くならないという人たちの一助になればと思います。

「○○は才能」について 

 インターネットではよく聞く言葉です。僕のように出来の悪い人種であれば殊更にそうでしょう。出来ないゆえに藁をも掴む思いで検索しては、「○○は才能」論に心を折られた経験がお有りでしょう。
 インターネットに書いてあることなんか本気にするな……とはいえ、たとえ便所の落書きであろうとそれは先達が苦労の末に見つけた結論でもあります。
 まずするべきは、この「才能」という言葉を自分の中でしっかりと定義することです。検索してみましょう。

さい‐のう【才能】  物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。「音楽の才能に恵まれる」「才能を伸ばす」「豊かな才能がある」「才能教育」  コトバンクより - https://kotobank.jp/word/%E6%89%8D%E8%83%BD-508270

 まあだいたいみなさんが想像した通りの印象ではないでしょうか。生まれついて持っている(後天的には手に入らない)能力という感じですね。さてしかし、みなさんが探している「才能」という言葉は、ここまで極端なものを指しているのでしょうか? せいぜいが得手不得手、上手くなれるかなれないか、程度のものではないかと思います。
 つまるところ、僕たちのような人間が求める答えは才能の有無ではないのです。屁理屈ですが。もしも「格ゲーは才能」であり、才能が天賦と同義であるのならば、ランクマであなたを負かして煽り散らかした野郎どもはどいつもこいつも天から授かり物を得ていることになります。そんなまさか。
 あなたが格ゲーをできるようになるのに、才能なんて大仰なものは必要ないのです。インターネットの「○○は才能」は、だいたい極端な言い方をしているだけと思ってください。
 これについて、僕にはちょっとした持論があります。前回の記事の表現をそのまま使うと、「才能が問われるのはずっと上の世界の人間だけで、私達が一般に才能と表現する程度のものは後から努力で身につけられる素質だとか素養だとかいうべきもので、要は素質のある人とない人はスタート地点が違うだけ」というものです。
 例えば、小さな頃に毎日外を走り回って遊んでいた子と、本を読んで過ごしてきた子がかけっこをしたらどちらが速いかは想像に難くないでしょう。あくまでものの例えではありますが。
 つまり相手に何らかの才能があると感じるのは、単にその人がこれまでに積み上げてきたものが見えてないだけではないか、ということです。

おれは「対戦ゲームをする」という機能を持たずに育った

 しかし言葉遊びをしたところで、我々は事実としてどれだけ練習しても格闘ゲームが上手くなりません。
 格闘ゲームが苦手なみなさん、アクションゲームは得意でしょうか。僕は人並みに得意です。けれども、対戦ゲームだけは全くと言っていいほどできませんでした。
 こういう人はきっと僕だけではないだろうと思います。アクションゲームと対戦格闘ゲームで、一体何がそんなにも違うというのでしょうか。 

 大きな部分では、「相手が人間である」ということが挙げられます。
 NPCを相手にするアクションゲーム(以下ACT)ならばいいのです。敵には決まった特徴や弱点が設定されており、決まった条件で攻撃を行います。試行錯誤をしながらパターンを構築し、攻略法を探し出す……それは言ってしまえば、”製作者との対話”です。ACTにはそういう楽しさがあると思います。
 では格ゲーではどうでしょう。相手が使用するキャラクターにはやはり決まった特徴や弱点が設定されており、ある程度最適化された立ち回りにより状況に対応した攻撃を行います。自然、試行錯誤をすることで攻めや守りの方策を探ることになるでしょう。
 こうして見てみると、ゲーム的なレイヤーでは大きな違いは感じません。ただ、ACTは製作者との対話であるのに対し、格闘ゲームは”プレイヤーとの対話”であるだけなのです。
 ただそれだけで、必要な素養が大きく変わると思います。
 ACTならば「攻略法」を探り出し実行すればそこまでで、先には報酬が待っています。しかし格ゲーならば、対戦相手も同じようにこちらを攻略してきます。勝利という最終的な報酬を得るその瞬間まで対話はほぼ間断なく続きます。
 相手が人間である以上、最適ではないこと、理屈に合わないと感じる行動もしてくるでしょう。逆に、最適と思われる行動を取ったところで相手になんの影響も及ぼさないこともあります。あなたの行動に対する報酬は保証されません。
 間に介している媒体がなんであれ、人と人が行う以上それはコミュニケーションになり得ます。極論、対戦ゲームとは一種のコミュニケーションなのです。そういう例えをすれば、イメージもしやすいかと思います。これは、できる人とできない人がいます。

 僕はできない側の人間でした。それは天から対人能力を授からなかった、ということではなく。僕が人の心理を読み取りそれを高速で処理するという能力を鍛えてこなかったからです。
 もちろん、相手と言葉で、表情でやりとりができるならあまり支障はないでしょう。しかし表情や言葉を受け取れず、ただ画面の中に写っているだけのプログラム制御された秒間60フレームのキャラクターの描画から、相手の心理を完璧に読み取る自信がみなさんにはあるでしょうか?
 できるにせよできないにせよそれは大抵の場合、単なる程度問題でしょう。しかし僕の「できなさ」は相当なものでした。指を持たずに生まれてきた人間がピアノを弾きたいと思えば、ほぼ間違いなく困難を味わう羽目になるでしょう。それと同じで、僕はまず指を生やす必要がありました。

にんげんっていいな

 結論から言って、それに大体10年ほどかかっています。「上手くなろうと思って練習して、実際にほんの少し上達する」という土台の部分を構築するのに、それだけの時間を使いました。こと格ゲーに関しては、ここ1~2年でそれこそ人並み以上の努力をしましたが、効果は出ませんでした。
 前回の記事を投稿した際に頂いた反応の中に、「そこまで考えられて記事にできるなら悲観的に考える必要は無いのではないか」というものがありました。概ねその通りです。問題点を言語化し自分の中に落とし込めるなら、普通であれば改善は容易と言えます。これはもう、ちょっとした自慢でもあるのですが、僕はそういった面で普通ではありませんでした。
 身の丈に合う合わないを問わず、目についた情報の中で吸収できそうなものがあればなんでも取り入れようとしましたし、意味が理解できずとも上級者のしている行動を模倣することも試してきました。その全てが、全く効果を挙げなかったと言って過言でないでしょう。
 コンボやセットプレイならば問題なく習得できます。それはACTや音ゲーSTGと同じことだから。つまるところ、僕は「対話」の部分が徹底的にダメでした。対話を行う機能を持っていることを前提に書かれた初心者向け情報なんて、その時の僕には意味が無かった。
 まあ、こういう言い方をすると確かに悲観が過ぎると思うのだけども。上達する理屈は掴めているのに、初心者に向けられた先人の知恵を知っているのに、努力が一切身にならない……なんてことがずっと続くと、人は自分を疑ってしまうものです。おれは健常な脳機能を持った人間ではないのかもしれないとすら感じました。
 元よりどうしようもないバカなので、今でも多少疑ってはいますが。
 はやくにんげんになりたい。どうせやるのなら、自分が自分に納得できる程度には成果を出したい。けれど当然、素養を持たない僕にはそれは叶いません。

 そんな10年の停滞が目に見えて変わったのは、ほんの2ヶ月ほど前です。

コツは人の醜さを信じて、細かいことを考えないこと

 何か特別なきっかけがあったわけではありません。ただぼんやりと、「自分には攻撃性が足りないのではないか」と考え出した時期が過去にありました。
 歯に衣着せず言ってしまえば、一部の格ゲーマーに見られる少し陰湿な意地の悪さ。プロレスめいたマウントの取り合い。コミュニティでの語気の強さ。気心の知れた間柄のみで行われるわけでもないようでした。
 こういう部分を模倣しようとしたことは無かったなと、ふと思ったのです。
 ただ最初はやり方を間違えました。とにかく何かにキレ散らかせば変わるものがあるだろうと思い、負ける度にものに当たってみたり、自分の頬を叩いてみたりしていたのです。かなり頭のおかしい感じですが、ぶっちゃけこれは効果がありました。
 しかし頭の冷静な部分では自傷行為をする間抜けな男を俯瞰している自分がいてかなり情けなかったのと、「こんなことしてまで上手くなりたくねえな」というプライドもあり、さっさとやめています。ちょうど前回の記事を投稿したくらいの時期ですね。つまり……一時的にとはいえスマブラでVIP入りできる程度の効果が挙がっていたわけで。
 これは重要なヒントになるだろうと感じながらも、どっと疲れてしばらく対戦ゲームからは距離を置いていました。 

 少し考え方を変えて、「もっと性格が悪い感じを試そう」と思い立ったのが2ヶ月前。
 唐突ですが、Ultimate Gamer Rageという動画シリーズがあります。

www.youtube.com

 ゲームで負けてブチ切れてコントローラやモニタに八つ当たりをする映像を集めたシリーズです。人間は愚か……
 僕もゲーマーなので気持ちは痛いほどわかります。ですがここまで怒っていると「ゲームなのになんでそこまで」という恐怖と一緒に、どこか下卑た笑みが湧いてくるものです。たちの悪い人間観察を楽しんでいたとき、前述した「攻撃性」となにかが繋がった気がしました。悪意や八つ当たりは、自分の顔面やふがいなさではなくモニタの向こうの相手に叩きつけるものなんじゃないかと思ったのです。

www.nicovideo.jp

 例えばこの動画、ここまでするほどこっぴどい負け方をしたようには見えません。動画のキャプションには「発売して間もない頃だったので猛者が低PPにも溢れていました」とあります。
であれば負け方にそぐわない怒り方をしてる理由として、「どうして俺がこんなランクの低いやつに」という思いがあったのでしょう。やはり気持ちはとてもよくわかりますが、冷静に見てみればこんなに醜いことはありません。いい大人がこんなことで癇癪を起こした子供のように怒――――

 みんなそうなんじゃないか?

 どうして気付かなかったのでしょう。
 過去、僕に屈伸煽りをかました対戦相手が何人かいました。そんなとき、対戦相手は決まって動きを変え、よくわからない攻め方で圧倒してきます。僕があまりに弱いから、少しからかってやろうとしているんだと思っていました。けれど本当にそうだったのでしょうか。よくよく思い返してみれば、僕が小さな逆転を達成したこともあったのではないか。
 格下だと思っていた相手に想定外のしっぺ返しを喰らってそのまま流れを持っていかれる。「どうして俺がこんなやつに」と、彼は思ったのではないか。プライドを傷付けられて、みっともなく怒って、なんとか僕に嫌な思いをさせてやろうとやけになっていたのではないか。

 人はおれのように醜い。おれがそうであるように、人は他人に対して誠実ではない。おれがそうであるように、人はしょうもないことで悪意を滲ませるのです。

 こちらから主張をすることによって能動的に主導権を奪うというコミュニケーションの方法を、このときようやく発見したんだと思います。
 それからは段々と、相手の考えることがわかるようになりました。そして同時に、対戦相手の醜さを信じることで自分が取る選択肢も絞りやすくなりました。
 それまでの僕は対戦相手が取り得るいろんな選択肢を考慮して、安定したもの、悔しい思いをしなくて済むものを選んでいました。でも考えてみればそれはほとんど必要のないことでした。
 相手が見えない中段があるなら一生それをやり続ければいい。おまえこれに対応できないんだろって、おちょくっているのがわかるような不遜な動きを見せつけてやればいい。そうしたらおまえ、おれの鼻っ柱をへし折りたくてリバサで無敵技撃つんだろ!
 強かな相手なら、僕のそんな考えを読んでリバサ投げを選択するかもしれませんが、それは結果として、ごく自然な形で読み合いになるのです。
 やろうとしてやるというより、結果として勝手にそうなるのが”プレイヤーとの対話”なんじゃないかというのが、言語化が難しいのですが、感覚としてなんとなく自分の中で馴染みました。

 それを方針として落とし込めたとき、トレモだけしてずっと放置していたUNIを再開しました。Twitterのフォロワーが対戦に付き合ってくれたこともあり、今まで蓄えてきた知識を新しい価値観でなじませていく作業は順調に進みました。

おれは人間になった

 それから2ヶ月でこうなりました。

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まるでにんげんさんみたいだぁ…

 今までの停滞からは考えられないほどの進歩です。普通に努力をして、普通に少しだけ上達をする。まるで普通の人間のような成果が得られたのです。自分が納得できるだけの素養をついに得たのです。
 コミュニケーションのための攻撃性を身につけた今なら、どうだ見たか、と思えます。おれは自分が楽しみたいもののために最初の瞬間から今このときまで楽しいままに努力を重ねて、ついにその努力を実にできるところまでやってきた。今まで散々、才能は関係ない、努力すれば上手くなるなんて、おれのような努力の素養すら持たないドベを最初から居ないもの扱いするような都合のいい言葉を並べて、面白そうにしやがって! おれはおれの納得のために、おれの力で地の底から這い上がり、今おまえらの足首を掴んでやったぞ! ウオオオウオウオ(ドラミング)

 それっぽく喜んでみたものの。それは結局、一緒に遊んでくれたフォロワーと同程度の上達具合で。普通に遊んだ人が普通に上手くなるスピードでしかないんだけど、それだけのことを手に入れるために今までの時間が必要だったんだと納得できます。

 もしどこかでまた「○○は才能」論を見かけて、その正体が大げさに表現された素養やらいうものでしかないのなら、僕は「そうだね」と答えます。
 では、そもそもその素養を持たない、本当に本当に根っから向いていない人間が努力で最低限度のそれを得ることは可能なのでしょうか。格好をつけて、あえて言ってしまおうと思います。おれが証明した!
 だからもし、(なかなか居ないとは思いますが)僕と同じくらい対戦ゲームができない、対戦相手に過剰な誠実さを期待しすぎる、そんな人が居るなら、画面の向こうのそいつをちょうどいい具合に嫌いになってあげてみてください。
 ドライに割り切って、顔も知らないやつをボコボコにしてざまあみさらせとほくそ笑むくらいの強かさが、ひょっとしたら対戦ゲームの「才能」なのかもしれません。

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 おまえの飛びに対空攻撃を放つおれは、その瞬間のおれは、誰憚らず人間であるのだ。