トリップゲーミング - なにもかもイヤになったらTerrariaで穴を掘れ
人生に疲れていた。
別に落ち込んでいるわけではなかった。ここ数ヶ月ほど頭を悩ませていた問題にようやく解決の色が見え始め、本来なら胸をなで降ろして遊び呆けているところだが、うっかり娯楽の受け止め方を忘れてしまったのか何をしても楽しくなかった。
本を読む気にならない。勉強もする気にならない。オタクが時間潰しに困るような時代ではとうにないのに、動画配信サービスでちょっと見たいものを探すのも億劫だし、ゲームは起動して10分で飽きていた。こういう精神状態の時にも黙々と暇を潰せるハクスラ系のタイトルは各種揃えていたが、今は何をするにもめんどうくささが勝る。何も考えたくない。遅れてきた5月病みたいなものだった。人生に疲れていた。
夜遅くに仕事から帰り、夕食を摂って身支度をして寝るまでの、ただすぐに横になると吐きそうになるからというだけの理由で起きている意味のない1時間、何も考えずにぼんやりネットをしていたとき、「Terraria」という名前が目に入った。
8年前、リリースから1週間くらいの時期に数時間だけ遊んで以来積んでいた、steamで初めて購入したゲームだった。何もせずに過ごすよりはいいかなと思った。
端的に言って、Tarrariaは不親切なゲームだ。リリースからしばらくのMinecraftがそうであったように、チュートリアルもなく世界に放り出されて完全な手探りでプレイを進める。夜が来るまでに家屋などの退避先を構築しなければ死ぬし、家が家足る条件――1.一定以上かつ一定以下の空間を囲い、2.自然の土ではない壁を敷き、3.空間内に一定以上の明るさの光源を確保し、4.家具を最低1つ以上設置する――すら、ろくに説明されない。クラフティングにしろ探検にしろ、基本的に説明不足で導線が薄いため小一時間もすれば次に何をするか……というより何ができるのかわからなくなってくる。当時はともかく今は有志によるwikiが充実しているが、もはやそれを前提としたゲームであると言ってしまうのは過言だろうか。情報が充実しているwikiは繋がりにくく、そうした側面でもビギナーには厳しい。
ゆえに、Terrariaというゲームの定石を知らないままにまずしたことは穴を掘ることだった。ゲーム内のなにがしかからそう判断したのではない。『Minecraftでは確かそんな感じだったから』というのが理由である。適当に木を切って掘っ立て小屋を作って、なんだかわからないがついてきたガイドNPCにスライムを狩ってもらって素材を奪い、松明を確保したら、あとはひたすらに掘った。
Terrariaの新鮮な刺激はそこで一度終わった。このゲームはほとんどがこの時間だ。掘るだけなのだ。何もない、黒で塗りつぶされた空間をひたすらに掘り進めるだけ。操作は格別難しいものではなかったので、5分もすればほぼ無意識に掘り続けられるようになった。何も考えずにぼんやりPCを弄っているのと何も変わらなかった。8年前と違ってそこでプレイをやめなかったのは、何も考えないことを是とできる精神状態だったからというのもあったと思う。
そこから更に10分ほど掘っただろうか。黒に塗りつぶされた画面の端に、目を凝らさなければそれとわからないほど微かな青い光があった。そこを目指して掘った。自動生成された、初めて出会う自然の空洞。果たして辿り着いた先はいっぱいの水に1匹のクラゲが泳ぐ、なんでもない穴ぐらだった。考えてもみてほしい。退屈だが何も考えたくない、そんな状態でタングステンよりも重い腰を上げてゲームをプレイしていたというに、15分前後にも渡って先の見えない単調な穴掘りをさせられて、成果がたったそれだけというのである。
たったそれだけのことで、おれは狂った。
掘った。次の発見を求めた。穴を掘って、空洞に松明を貼り付けて、穴を掘って、土の代わりにモンスターにピッケルを突き立て、穴を掘る。別にそれが格別楽しいとは思わない。しかし不思議と手は止まらなかった。いつの間にか日付は変わっていて、キーボードとマウス、それからいつになくやかましい時計の秒針と扇風機の駆動音が頭の中を塗りつぶした。明日の仕事がどうとかは気にならなかった。どうせ朝早くに出勤するわけでもないのだ……そんなことをちらりとだけ考えて、真っ黒な画面の端に再び現れた淡い光源によってすぐに忘れた。
自分が塗り固められた壁の中に埋まっているような錯覚を覚えた。マウスを打つ指先ひとつの感覚がやけにくすぐったい。急に扇風機の風が耐え難いほど鬱陶しくなって、スイッチを止めた。じっとりとした熱気が停滞して、秒針の音はもっと大きくなった。世界が完全になったような気がした。脳漿は甘い蜜になって、熱っぽい脳みそを浸していた。
Terrariaは不親切なゲームだ。地下世界の探検において初心者が体験する最初のブレイクスルーは採掘用の足場構築やロープによる退路確保を全て不要とするGrappling Hookの登場だが、これの作成には鉄鉱石から生成したChainと敵モンスターからのドロップ限定品であるHookが必要になる。ドロップ率はその時点で遭遇する2種ほどから、約4%だ。これが数値以上に落ちにくい。上位モデルとして同種の宝石15個から作成するものがあるが、エントリーモデルとも言える鉄フックの材料が揃うよりも各宝石が15個揃うほうが早いのだから――結局は運の善し悪しでしかないが――なにかおかしい。
かてて加えて、序盤は戦闘の難度も比較的高い。初期装備の剣はリーチ・範囲ともに頼りなく、少し潜れば敵の数も爆発的に増えるうえ上方から飛来するbatと地上のslimeやskeletonを同時に対処せねばならず、ノックバックもさほど大きくないため回避・退避も求められる。装備にリソースを振れない序盤で地下戦闘を行うには急造の砦に引きこもったり足場を作ったりと、有利な陣地構築のうえで挑むのが常道となる。が、その建築と光源確保、攻撃は全て手持ちスロットの切り替えをしながら左クリックひとつで行わなければならない。こんな状態で防具も紙くず同然となればその緊張感と死亡率はなかなかのものになる。
掘る。死ぬ。掘る、掘る、死ぬ。
掘る、掘る、掘る、生き残る。掘る、掘る、死ぬ。
死ぬ、死ぬ、死ぬ。掘る、掘る。掘る……
繰り返される行為の意味や価値について考える必要は無いように思われた。それはどこか呼吸に似ていた。
椅子の肘置きに押し付けていた肉と関節がピリピリと痛み始めたとき、ようやく手が止まった。疲れていたが、不快ではなかった。トイレで用を足してベッドに倒れ込むと、すぐに眠った。
そんなことを、ここ数日繰り返した。
今朝になって頭の中がなんだか明瞭になったように思えて、あれもやりたい、これもやりたいと前向きな欲求が湧いてくることに気が付いた。癖のように起動したTerrariaのマップを何の気なしに開く。
なんだこれは。あんなに面倒くさがっていたのに、よくもまあ数日でこれだけやったものだ。いったいどういう精神状態でこれだけの時間を無駄にできたというのだろう。ピクルスになった脳みそではもうわからなかった。
ただ、なんだかこの数日が必要であったように思う。きっとまた掘るだろう。心を癒やすためのゲームそのものに価値を見出だせなくなったとき、おれはクエスト報酬でもレアな装備でもなく、きっとまた大したものも出てこないこの穴を掘り続けるのである。
さあ、元気になったし出掛けるか。
やっぱりちょっと掘ってから行くか。