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対戦ゲームに向き合った数年間の話を聞いてくれ - 「○○は才能」に対する現状の答え

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【2020/01/30 追記】
あれから一年経ちました。

対戦ゲームに向き合った話を聞いてくれリターンズ - 「格ゲーは才能」かもしれないが少なくとも凡人にはなれる

「好きこそものの上手なれ」という言葉がある。「努力は裏切らない」なんてアツい格言もよく聞く。一方で、「下手の横好き」とも言う。「好き」は必ずしも「得意」に繋がらないというのはある程度一般的な認識であると思う。
 今から、とても長ったらしくて、うじうじと女々しくて、卑屈でみっともない話をしたい。これは私が格闘ゲームFPS、イラストだとかの娯楽・趣味全般、長じて「人間」というものに向き合った経緯と、10年以上悩んでなんとか形にしたひとつの持論だ。

 格闘ゲームが好きだ。
 初めて遊んだタイトルはSFCの、スト2のどれかのバージョンだったと思う。他にもドラゴンボール天下一武道会2、鉄拳2、辺りが私の格ゲーの原体験で、確か小学校に上がる前だったはずだ。
 当時の対戦相手はいつも兄だった。時々まぐれで私が勝つとへそを曲げた兄に嫌味を言われたものだった。
 小学生の頃は友人たちの間ではスマブラ64とDXが定番だった。兄とXboxでDoA3も遊んだ。中学に上がってカプエス2……辺りから、兄はあまり対戦ゲームをやらなくなって、私はスマブラX、高校に上がるとメルブラなど興味が出たタイトルを買ってひとりでだらだらと続けていた。
 ちょっと本格的に練習してみようと思ったのはたぶんスマブラX~MBACの頃だ。ネット対戦は世界の広さを教えてくれた。同時に、自分はあまり格闘ゲームが得意ではないのかも、ということにも気付かされた。
 高校時代、何度かクラスに格ゲーブームが巻き起こった。タイトルは鉄拳とかブレイブルーとかその辺りだ。やる気勢は家庭用移植を持っているヤツを中心に練習もしていた。私を含む数人はメインストリームから少し外れてメルブラをやっていた。小さな頃からぼんやりと格ゲーに触れていた私はある程度人にものを教えられるようになっていた。
 私が格ゲーを教えた友人たちはぐんぐん上達して、すぐに私よりも上手くなった。

 FPSが好きだ。
 中学の頃、ちょっとマニアな友人が無料FPSの『サドンアタック』に誘ってくれた。PCでFPSをするのは初めてだったが、Xboxで兄とともにHaloにハマっていた私は比較的すんなりと遊び方を覚えた。
 誘ってくれた友人は上手なプレイヤーだったが、なんとかついていけていた私もそこそこなものだった。
 高校に上がると同級生たちのなかにもゲーマー基質な人が増えていって、FPSは私達の世代には比較的メジャーなジャンルになった。多くの友人たちは、私よりも高いKill数を叩き出すようになっていった。

 STGが好きだ。
 高校を卒業してすぐくらいの頃、私はバイトから帰るとアーケードスティックをXbox360に繋いで、STGの移植作品を遊び倒していた。
 そんな折、Halo:Reachだったかハッピーウォーズだったかで出会った日本人のフレンドから、「君のプレイ履歴にSTGがいっぱい並んでいたから興味が出て一作買ってみたけど、全然上手くいかない!」とメッセージが届いた。
 学生時代の友人たちとはSTGの話ができなかったどころか、「古臭くてつまんなそう」と一蹴すらされていた私は嬉しくなって、彼にSTGの基礎を教えた。
 STGの遊び方を覚えた彼は私より高いスコアを稼げるようになった。

 絵を描くのが好きだ。
 小さな頃からよく描いていたが、意識して練習を始めたのは中学の頃だ。最初は漫画の模写なんかで友人たちにちょっとちやほやされていた。描きたいものはたくさんあったし、描けば描くほど手応えを感じた。
 高校に上がって周りにオタクが増えてくると、イラストの上手い人を多く見かけるようになった。インターネットでは『絵師』と呼ばれる人たちとよく交流していた。自分が「絵を描いている」なんて軽率に口に出せないレベルであることはとっくに自覚していたが、それでも描くのは楽しかった。

 高校時代の担任の先生は美術部の顧問だった。私とは馬が合わなかったのか、先生は時々意地悪に振る舞うことがあった。進路相談の時、絵を描くことが好きだと言った私に先生はニッと笑って「絵は才能だと思うか?」と問いかけた。
「絵は才能」という言葉は趣味程度にでも絵を描いたことのある人間なら必ず耳にするし、誰もが一度は悩むことだった。例に漏れず私もそのひとりだったが、絵のことには人一倍強く悩んでいたであろう私は自分なりの答えを持っていた。
 私は「才能が問われるのはもっとずっと、本当に上の世界の人間だけで、私達が一般に才能と表現する程度のものは後から努力で身につけられる素質だとか素養だとかいうべきもので、要は素質のある人とない人はスタート地点が違うだけなのだと思います」と、だいたいそんなようなことを答えた。
 先生は私の話など聞いちゃいなかった。
 拙い言葉を吐き出していた私の口が止まったことだけを確認したあと、私の主張と同じようなことを諭すように繰り返して、先生の話は終わった。先生が言いたいこと、私が答えるべきことは最初から決まっていて、教えを乞うべき立場である私の鬱陶しい持論はあの場では不要だった。当時は暖簾を押したような感触にムッとしたが、あとになって考えれば当然にわかることだった。必死になって空回りしている自分がたまらなく恥ずかしかった。

 娯楽というものに時間を費やして生きていくなかで、違和感は少しずつ、確実に大きくなっていった。
 人間関係においても、主張がなくて、リズムがズレていて、よほど気の合う相手でも無い限りは「いいヤツだけど別に仲良くもない」、そういう位置に収まる人間にしかなれないことに嫌気が差していた。
 私は努力が実らないことに焦りを感じてずっと悩んでいたが、それを穏やかに受け入れていた。狭く深い友人関係は嫌いじゃなかったし、結局のところ私自身が趣味をちゃんと楽しめているのは間違いなかったからだった。
 高校を卒業して何年かアルバイトをしたあと、私はデザイン系の専門学校に入った。
 趣味を仕事にするというのは密かな憧れではあったし、自分の人生に悩んでいた当時、好きなことをして生きることで自分を肯定してあげたいという思いもあった。
 専門学校では完全に置いていかれていた。イラストもちっとも上達していなかった。その時の私は自分が上達出来ないことに対して「まだ努力が足りない」という答えを持っていて、要するに――大変恥ずかしながら――自分は「やればできる子」だと思っていた。
 本格的な就職活動を控えた卒業制作の準備には自分なりの全力を費やした。本気の本気でやれば成果なり成長なり、なにか前に進めそうなものが掴めると盲信していた。

 そうして必死になっていたある夜、ひどい吐き気と頭が割れそうな頭痛に襲われて私は動けなくなった。悪心で一睡もできなくなり、倦怠感がひどく、物事を悲観的にしか捉えられなくなって、半年ほどほぼ寝たきりの状態で過ごした。自分の人生そのものに答えを突きつけられてしまう気がして、精神科にはかかれなかった。

 吐き気で眠れず、ゼリー食品を飲んでえづきながら、私は高校時代に先生に語った自分の「才能観」についてずっと考えていた。
 先天的な才能ではなく後天的な素養の有る無しなのだという考えは今でも変わらないが、果たして「後天的に素養を獲得する」ことはそう誰にでもできることなのだろうか。
 ゲームに入れ揚げた学生時代を思い出した。思い返せば私のように長く遊んでも上達できなかった何人かの友人たちには共通項があった。要領が悪くて、引っ込み事案で、コミュニケーションが苦手で、何を何度やらせてもぱっとしない……そんな人間は存在しないなんて綺麗事は言わせない。どこにでもひとりは居るはずだ。主張をはっきりさせるために極端な物言いをすれば、属する社会集団への貢献度が極端に低い、居ても居なくても変わらないような底辺層……それが私であり、努力を重ねても一向に上達が見られなかった友人たちの正体なのではないか。

 時間が経って身体が動くようになった私は、つらくて絵を描くペンが動かない時間で、ひとりで格ゲーやSTGに向き合った。
 絵を描くのに必要なのは絵の才能か? 格ゲーで勝てるようになるには格ゲーの才能が必要なのか? 絵描きは「絵は才能じゃない」と言う。格ゲーの講座サイトにも同じようなことが書かれている。けれど、インターネットで私にアドバイスをくれた格ゲーマーの何人かは付け加えるようにこんなことを言っていた。「ダメなやつはどれだけやってもダメってこともあるけどね」。
 私のような人間は才能や素質以前の問題だったのではないだろうか。持ち前の素養だけでなんとかごまかしてきたせいで、ちょっとでも要求されるレベルが高くなった途端に何も為しえない。趣味や娯楽に限った話ではなく『他人とのあらゆるやりとりのリズム感』『上達するプロセス』という能力、人間が生きるための根本的な力が決定的に欠けているのではないか。

 私は社会復帰のためにデザイン制作のアルバイトをしながら、より多くの対戦ゲームに手を出した。
ストV、MBAACC、BBTAG、Xrdで挫折したギルティはRev2で復帰したし、勢いでUNIも買って、その全てで挫折した。Splatoon2Twitterのフォロワーに付き合ってもらって随分頑張ったが、ガチランクは万年Bだ。誇張じゃなく人の倍の努力をしたが、やはりプレイした時間に見合った上達はしなかった。

 確信を持ったのは「ウルトラストリートファイターII ザ・ファイナルチャレンジャーズ(ウル2)」だった。実家に帰ってきていた兄とその場の流れで対戦することになった。兄弟で格ゲーをするのは十年近くぶりのことだった。
 その頃には兄も仕事が忙しく、ビデオゲームはソシャゲを嗜んだりPCで小粒なタイトルを遊ぶ程度になっていた。格闘ゲームも本格的にやりこんだことはなく、今度はあの日一方的にやられていた私のほうから兄に格ゲーを教えることとなった。
 私が対戦ゲームと向き合ってきた数年で得た基本のノウハウを兄に伝えた。上中下段、3すくみ、3段コンボ、飛ばせて落とす、ひとつひとつをトレモで実践してから対戦した。私はリュウ、兄にはキャラの動きが素直なことと、性能面でのちょっとしたハンディとして殺意リュウ豪鬼を勧めた。1戦ごとに、質問に答えたりアドバイスをしたり、技の対策を教えたりした。
 それから数時間後、私の勝率は4割を切っていた。私の数年間の蓄積に、兄はたった数時間で追いつき、あまつさえ追い越してもみせた。元がコア寄りなゲーマーとはいえ、錆びついた腕で現役の私を下したのだ。
 この時、十数年前のあの日の兄のようにへそを曲げて、ゲーム機の電源を切って、仏頂面で嫌味のひとつでも言えたら私はさっぱり諦めがついたのかもしれない。

 楽しかった。覚えたての三段を綺麗に決めた兄を称賛した。無敵フレームでつるつる滑って突っ込んでくる豪鬼にふたりでゲラゲラ笑い、飛び読みの大昇竜に声を上げた。夜8時頃から始まった対戦会は、深夜2時を回るまで続いた。
 楽しかった。

はやくにんげんになりたい。

 その日を堺に、私は妖怪人間ベムのような思いを抱くようになった。
 自分がダメ人間であることにはとっくに気付いていたが。これはもう趣味に限った話ではなく、そもそも人間として不完全だったのだと改めて理解した。絵や格ゲーの講座サイトの内容を実践しても上達しないのは当然だった。私は『上達』の素養を身に着けていないからだ。こういった人に「○○は才能じゃない」と言ったところで、それは鳥が人間に「鍛えれば空を飛べる」と説くのと同じことだ。
 人と何を話してもどこかズレている。何をしてもぱっとしない。『人ができて当然のことができない』というのは人生のあらゆる局面において不便だ。私がするべきは素養のある人の後ろから走り出すことではなく、ちゃんとしたスタート地点に立つことだった。
 一を聞いて十を知る立派な人間にはなれなくてもいいが、十を聞いて五くらいは知れる人になりたい。そのための努力は惜しまない。健常な人間がどういったプロセスでものを覚えていくのか、私のような人間がなにを失敗しているのか徹底的に観察した。

 結果として、物事の上達が苦手な人たちは総じて『試行』と『落とし込み』のどちらか、あるいはその両方を嫌う傾向があることがわかった。
 人間が物事を覚えるにはいくつかの段階があって、ざっくり書けば【試行:実践して】→【反省:問題点を見直して】→【落とし込み:広く活用できるように再構成し】→【再試行:もう一度実践する】……を繰り返すことで経験を脳に馴染ませる。
 厄介なのは、「やっているような気でいてもできていない」ということが平気で発生する部分だ。
 格ゲーに例えれば、【試行】を嫌がる人はwiki攻略サイトで情報を見ただけでわかった気になって実際に試さないので、経験として蓄積する効率が悪い。
 【落とし込み】を嫌がる人は、波動拳を撃つふりをして屈みにとどめ、相手をジャンプさせて対空……と覚えた動作を「フェイント→反撃」という概念に落とし込めば対空を置き技に変えるだけでそのまま弾抜けを持ったキャラの対策になることに気付かない。
 私の場合、【再試行】を嫌がりやすいことがわかった。特定状況でのみこの行動をすれば有利を得ることができる、そういう知識を発見しても実際にその機会が来た時、リスクの低い安定策を取る。
 私は「テクニカルな要素は基礎がしっかりしてからやればよい」と考えがちで、安定しない選択肢は滅多に取らない。ゆえに再試行の効率が悪く、いつまで経っても覚えない。それが行くところまで行ったとき、「練習量でなんとかなる」「基礎を鍛えれば勝手に応用できる」という方向に逃げて、結局は潰れる。絵のことでうつになった原因がこれだ。

 また、この学習サイクルとは別に対人能力も問題だった。
 私は勉強が特別苦手というわけでもないし、アクションゲームや音ゲーはどちらかと言えば平均より得意なほうだった。デビルメイクライは全シリーズ最高難易度のDMDでクリアしたのがちょっとした自慢だし、音ゲーも中級者程度の腕前はある。なぜ人付き合いや対戦ゲームだけがここまでダメなのかがわからなくて色々と調べ回ったが、結局のところ私が人間未満だからだという結論に落ち着いた。
 安定に走らず思い浮かんだ有利な選択肢をすばやく実行する、格ゲー的に言えば「殺せると思った時に確実に殺す」というリズム感や、行動を読まれないために何を布石にするか、わかりやすい行動をどのタイミングで見せるか。対戦ゲームはジャンルに限らず、対人能力をそのまま落とし込んだような駆け引きが重要になってくる。
 言ってしまえばたかがゲームの上でのやりとりでしかないが、要素をシンプルにしてあるだけに必然的に現実のコミュニケーション能力がそのまま出る。観察力が無くて空気の読めないやつはゲームでも状況に合わない行動を取って反撃を刺されるし、話し下手は自分が行動を起こすタイミングを掴めずにゲームでも攻められない。

 以上の点から、上達機能を持たない人間は多くが「他人に対して無頓着で変化を好まない」と言えそうだ。いつもなあなあでやっているか、安心できることしかしない。サイクルが壊れているから新しいことを覚えるはずもない。

 さて、これを修正するにはどうしたらいいだろう。理屈の上で分かっても実行は簡単ではない。利き手を逆にするような作業だった。
行動を修正するために思いつくあらゆることを試した。絵でもゲームでも、運動でもそうした。周りの人はストイックだとか勤勉だとか言ってくれたがとんでもない、私は人が当然にできることをするために人より努力が必要なだけで、感覚が麻痺してマイナスをゼロにする作業が楽しくなっているだけだった。はやくにんげんになりたい。そうしたらいろいろ楽になるから。
 元々勝負事そのものがあまり好きではなかったことも手伝って、勝ち負けにこだわることもほとんどなくなった。だいたい私が格ゲーをやっていて一番楽しいのは読み合い差し合いが相手とうまく噛み合ったりファインプレーが発生した瞬間で、それは自分が勝とうが負けようが楽しい。私は費やした努力に見合った成果を手に入れて活用して、勝手に満足したいだけだった。

 突き詰めれば、私が努力に裏切られてしまうのは私の「人間力」が足りなかったからだというのが結論になる。どこにでもひとりはいる、取り柄がない悲しき陰キャ。私はその中でも筋金入りなのだと思う。そういう生き方もアリだと思っていたが、うつまがいのストレス症状で倒れてから少し考え方が変わった。死を強く意識してお尻に火がついたとか、目一杯ネガティブになった反動でハイになったとか力が抜けたとか言ってもいいのかもしれない。
 ダメ人間がちゃんとした人間の遊びに手を出すには、人間向けの努力を重ねる前にまず人間になる努力をしなければならないのだ。
 それに気付かなかった私は10年絵を描いてもろくにうまくならなかったし、アークゲーは万年初段、ストVはブロンズ常連だ。本当に下手だった。教えてくれる人が匙を投げるくらい下手だった。

 趣味でも、勉強でも、仕事でも、「○○は才能」という言葉にイヤというほど向き合った。少し前は無条件に否定していたが、今は半分本当だと思っている。
「努力の質」は後天的に獲得するには莫大な労力が必要になる。それを得るのに必要なのはやっぱり努力だし、費やす労力と成果はきっと釣り合わない。
 要領や物覚えが悪くても満足できるなら、自分の得手不得手に納得ができるなら、いくつかの趣味くらい「下手の横好き」で折り合いをつけて生きていくのはとても賢い選択だと思う。
 でも私は自分が持っていないものばかり好きになって、吐いてしまうほど「下手」でおなかがいっぱいになってしまった。力を抜いても生きていけるスペックが絶対にほしいし、自分の納得を優先する強かさもほしい。好きなことくらいちゃんとできる人間になりたい。

 そんなようなことをまたぼんやり思い出しながら、最近は派遣社員になって空いた時間で絵を描いたりスマブラSPに挑戦したりしているのでした。

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 つい最近、嬉しいことにちょっとした成果が出た。少しは納得に近付けただろうか。